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日本大学馬術部
〒252-0813
神奈川県藤沢市亀井野
840
日本大学馬術部合宿所
TEL:0466-81-0288
FAX:0466-81-8885 nuet@msj.biglobe.ne.jp



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歴史

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  昭和21年〜昭和30年頃 戦後の混乱期の頃
部の状況

○ 昭和21年4月、大学に体育部が再建。(馬術部は昭和22年に再建)再建と同時に現在の文理学部(予科)の焼跡に4頭入り馬房が建設され、馬場は予科時代のものをそのまま使用する事となった。しかし、馬匹は1頭(班月号)だけであった。
戦後の混乱の中で、充分な資金もなく施設、道具すべてが、みじめな時代であったが、部員達は苦労に苦労を重ね、馬匹を飼育し馬術部の発展のために懸命の努力をした時代であった。
東京獣医高専も合併し(昭和27年)、農獣医学部で練習をしたが、日本大学の方は馬匹が少ないので、部員達は各々乗馬倶楽部、馬事公苑で練習を行った。
● 学生馬術も再び盛んになり、六大学、東都大学にリーグ戦がスタート。関西にも同様のリーグ戦が出来た。この時代、リーグ戦優勝から昭和30年には遂に全日本学生の王座についた戦後の第一期黄金時代でもあった。

活躍された選手 【日本大学】
岩井将治、喜勢八十八、吉原磯吉、金子三郎、中居恒穂、山見昇、田中等、田村敏彰、加藤善太郎、山川光雄、掘越博、中居清二、冨士川満男、秋村日出海(故)、古谷忠昭、堀口勇、木村喜一郎、後藤博志、上条徳(故)、高橋(故)、水町暢宏
【東京獣医高専】
百々猛、小津昭、米沢貞男、金田安司、平野弘三
特記事項 (1) 昭和27年、東京獣医高専が日本大学農学部に合併し、日本大学獣医科となった。したがって、馬術部も統合された。
しかし、日本大学の馬術部は下高井戸の馬場で、獣医学部の馬術部は、三軒茶屋で各々に練習し、同じ日本大学でありながら2つの馬術部に分かれるような状況が暫く続いたのであった。
(2) 関東選手、山見昇、冨士川満男、古谷忠昭、後藤博司、上条勝徳
部長・監督 【日本大学】
部長/鈴木正紀(昭和22年〜昭和39年)
監督/高杉耕治(昭和22年〜昭和31年)
【東京獣医】
部長/桑原志郁夫

  昭和31年〜昭和39年 馬場移転などで低迷した頃
部の状況 昭和31年頃から、部は低迷期に入り、部員達も懸命の努力はしたのであるが、公害問題などで、下高井戸校舎での馬術部の施設が問題となり、馬術部の存続すら危ぶまれる苦境の時代であった。
しかし、伝統を守る部員の努力と大学当局のご理解から、藤沢六合の農獣医学部に馬術部の施設を移動する事により部は存続されたが、諸問題で、すっかり成績の方は低迷してしまった時代である。
活躍された選手 草野栄雄、瀬名春樹、加藤修輔、鬼頭弘一、桂川慎吉、河野敏夫、青柳広夫、佐藤伝一、柴内裕子、山内琳、東田昇、伊藤衛、武居義明、森本剛、矢野貞雄、小椋正、大塚信太郎、嶋崎輝雄、風間俊輔、安済勇男、福島友利、並木義幸、鈴木修、鈴木豊、田島義晴(故)
特記事項 高杉耕治先輩がミュンヘンオリンピック監督となる。馬匹〜桜駿号、桜花号、桜月号、桜烈号の4頭に増えた。
部長・監督 【日本大学】
部長/鈴木正紀(昭和22年〜昭和39年)
監督/山川光雄(昭和31年〜昭和40年)
調教師/福田章昭和(昭和29年〜昭和45年)

  昭和40年〜昭和50年 馬術部の夜明けの頃
部の状況 大学当局のご理解で藤沢の農学部に馬術部の施設が移り、公害問題で迫害されていた下高井戸から開放され、加えて、新桑原部長、新後藤監督の新体制で、部員も馬匹も心機一転して再建に踏み出した時代であった。この40年代前半は、新体制下ですべての面に苦労は多かったが、昭和42年早くも、忘れていた優勝の喜びを勝ち取ってからは、もちろん苦境の中ではあったが、後藤体制が着々と実を結び40年後半に向かって快進撃が始まり、学生馬術界王者へのしっかりとした足固めがなされた時代であった。
そして常に、学生馬術はもちろん我が国馬術界においても、誠に優秀な成績を個人でも、また団体でも上げるように発展した時代で、まさに馬術部夜明けの時ともいえる時代である。繋養馬匹も5〜6頭から10数頭に増えてきた。忘れられない馬匹に桜烈号、桜日号、桜冠号、桜雄号、桜浪号、桜錦号、ムネヒサ号などがいた。
活躍された選手 阪田勝、重田雅彦、田島謙郎、山本靖義、山岸武次、曽根滋、北嶋守、木内義則、井上敏夫、渡辺弘、村上英夫、植田伸孝、槙本あや子、岩崎伸道、鈴木瑞美子、高石啓一、木村義文、清水あつ子、植田元、浜崎洋啓、渡辺和子、浜岡秀昭、市川喜一郎、柏原法泉、武田茂男、田中啓雄、藤原辰男、明石修、大木道子(現黒沼)、園田伸正、田名部誠、津川和重、野村努
特記事項 昭和40年、山川監督が辞任され、後藤監督が馬術部の存続をかけ、OB会でも最後の切り札として就任してもらった。そして、後藤監督のもと、再び迎える黄金時代に向かってスタートした時代であった。
部長・監督 部長/桑原志郁夫(昭和39年〜昭和58年)
監督/後藤博志(昭和40年〜現在)
助監督/鈴木瑞美子(昭和49年〜昭和52年、平成10年〜現在)
調教師/福田章昭和(昭和29年〜昭和45年)
コーチ/鬼頭弘一(昭和40年〜昭和52年)




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